コラムブログ「だが興味は持て」

気が向いたら書く!

「名付け」に興味を持て

その責任の大小に関わらず 名前を付けるというのは大変である

 

筆者は現在筆名として「タケウチユウタ」という名前を掲げているが

これは本名を片仮名にしただけの単純な名称であるからし

 

その大元は親に頂いた出生名であると言えるだろう

今思えば単純な名前だが 付けるに際し侃々諤々があったと聞いている

 

かような出生時から時を経て インターネット黎明から少し経った中高生の時分

ハンドルネームを付けてのチャットや掲示板書き込みが一般的になってきた頃である

 

同級生達も各々自分に好きな名前を付けてアイデンティティの拡張に勤しんでいた

本名をもじったり 好きな物の名前をそのまま拝借したり……

 

さながら雑誌の読者投稿欄 あるいは文通コーナーの様相であった

学友のみならず 知らない人との交遊もハンドルネームを介してである

 

そんな中で なかなか自分のハンドルネームを決める事が出来なかった筆者

 

今もそうなのだが 今より更に自己意識が膨満かましていた若年期であるため

それを簡潔に名前だけで表現するのは至難の業だったのだ

 

色々な名前を経て「我流」というハンドルネームに落ち着いた

結果的に特に意味は無く響きで決めたものになったのは何かの皮肉である

 

このHNを引っ提げてのブログ作成やネット大喜利 チャット書き込みのみならず

雑誌のコーナー投稿や深夜ラジオへのメール投稿も行っていた

 

VOW!」に載った事と 「ラジアンリミテッドDX」でメールが読まれた事

そのいずれにもこの名前を冠していたのは ささやかながら今でも自慢である

 

とは言えちょっとした事件もある

 

筆者が単なる気まぐれで 普段使っている名前とは別の名前で学内チャットに入ったところ

筆者が当時好意を寄せていた女子が私への悪口を挙げ連ねているのを目撃するという

 

気持ちの持って行き場の無い小さな絶望を感じた出来事もあったりした

未だにFacebookの「友達かも?」欄にその女子が出てくるとややゲンナリする

 

そして時は流れて 大学時代後半に差し掛かったところ

縁あって地元広島のライブ喫茶を根城として自己活動に励んでいた辺りである

 

本名は知らない ステージネームだけは知っているような友達が増えてきて

自然筆者も「芸名をつけてはどうか?」と提案を受けたのだが

 

その頃既に「タケウチユウタ」としてイヴェントに出ていた頃

官能小説を自作して朗読するという愚にもつかない芸ではあるがそれはさておき

 

今更「これからはこの名前で呼んでね!」と皆に宣言するのも恥ずかしかったので

今に至るまでこの片仮名表記で通しているのだった ちゃんちゃん

 

やや時を戻すが 配偶者と籍を入れた30歳前後

勿論配偶者はその時苗字が変わった 大まかにいうと改名した

 

周りの人達には次々と子供が産まれていったりして

いつまでも小さいままだと思っていた我が妹にも産まれたのは実に不思議な感覚だった

 

その都度産まれてきた赤子には名前を付ける必要がある

そのひとつひとつに意味があり意志がある それは容易く出来る事ではないのだろう

 

筆者の家族にはまだ子供は居ないが もしそんな状況になったら

あるいは誰かに名付け親を頼まれたら

 

自分の芸名ですら迷走を繰り返してしまうのに そんな事が出来るのだろうか

もしくは人の事だと思って案外簡単に決められてしまうのかもしれない

 

何故そんな事を思ったのかというと 仕事の休憩中にうたた寝をしていた時

自分のノートパソコンに「邪道丸」と名付ける夢を見たからなのだ

 

とてもじゃないが人の子に付ける名前ではないので

4月に届く予定の新しい自転車に命名してみようかと思う 名付けの道の第一歩だ