コラムブログ「だが興味は持て」

気が向いたら書く!

「モーヌン」に興味を持て

 

文房具蒐集が趣味である配偶者からボールペンを貰った

 

どうやら自分がお気に入りで使っているペンを

布教するために わざわざ買ってくれたらしい

 

筆者もどうせなら使わせてもらおうと 使い所を探すため

とりあえずノックをし 手元のメモ紙にペンを走らせる

 

こういう時に何を書くか というのは

誰に見せる訳でもないのだが個々のセンスが問われるのだろう

 

特に意味のない記号 例えば曲線をぐるぐると書いてみたり

自分の人生で一番頻度高く書くであろう 自分の名前だったり

 

好きな芸能人の名前を書いてもいいと思う

基本的には自由である ましてやここは我が住まいで誰に見せるでもない

 

筆者がペンを手に取り メモに書いた文字は

自分の名前でも手癖の記号でも「星野源このやろう」でもなく

 

「モーヌン」という四文字であった

 

 

書いてから 誰あろう筆者が第一に思ったのは

 

「モーヌン」って何だろう? と

 

初めに断っておきたいのだが その時筆者の周りには

モーヌンを想起させるような代物は一切置かれていなかった

 

というか今このコラムを書いていても

「モーヌンを想起させるような代物」が一体何なのか 想像もつかない

 

今までの32年間で一度たりと口に出したこともないし

知り合いの誰かのアダ名が「モーヌン」であったという出来事もない

 

全くもって 筆者の頭脳の埒外から降って沸いた言葉なのである

 

であるからして「モーヌン」とは一体何なのかと自問自答したとて

その答えが出てくるいわれも無いのであったが

 

何だか妙に耳に残る語感に 筆者の脳髄は段々侵されてきて

気付けばメモ用紙を埋める勢いで「モーヌン」は増殖していた

 

浦沢直樹「MONSTER」での 部屋の壁いっぱいに文字が書かれたシーン

あの風景を想起してもらえば ちょうど大袈裟である

 

 

正気を取り戻した筆者は

(こんなコラムを書いている時点で正気かどうかは甚だ疑わしいが)

 

配偶者にそのメモ用紙を見られ

「モーヌンって何?」と聞かれるまでのわずかな瞬間に

 

どうやって整合性の着く説明ができるかを必死で考えて

考えた挙句放棄した 「さぁ何だろう?」

 

何しろ自覚症状のない 脳味噌の片隅から不意に飛び出た言葉である

その唐突さは教習所のシミュレーターで物陰から老人が飛び出すさまに似ている

 

苦し紛れに出てきた文章というか言い訳は

「ねぇモーヌン こっち向いて」という駄ダジャレであり

 

恐らく海砂利水魚時代の上田もワァオと言わないであろう苦しさで

流石にそれは考えたけれど口には出さなかった

 

そして更に断っておきたいのだが 現時点での筆者であっても

「モーヌン」が何なのかという結論には至っていない

 

多分今後も納得のいく結論には辿り着けないと思うのだが

それでも「モーヌン」が何なのか もがき続けた男の一大奮闘記として読んで頂きたい

 

 

「モーヌン」という言葉を ネット検索してみたら

「モーヌン・カオニャオ」という 米を蒸すための鍋がヒットした

 

モーヌンのルーツはタイにあるのか?という重大ヒントを得た筆者は

すぐさま検索結果のページをしらみつぶしに眺めてみたのだが

 

それらほとんどが 鍋を購入する通販ページであり

モーヌン ならびにモーヌン・カオニャオがどういう意味かは分からず

 

というか「モーヌン・カオニャオ」で一単語になっているため

モーヌンだけで言葉を仕切るとそれこそ迷宮に陥ってしまう

 

しかし「モーヌン」がタイに関係する事は分かったので

今度はより分かりやすく絞るため「モーヌン タイ語」で調べてみたら

 

先頭に出てきたのは「ピー信仰」という宗教の説明ページであった

 

これ以上知らない単語で頭を埋めるのはキャパシティを超えそうなので

簡単に読んだ内容を説明すると

 

「ピー」と呼ばれる精霊を信仰する習わしがタイの一部にあり

その精霊のひとつが「ピー・モーヌン」と呼ばれているという

 

恐らくだがこの場合の「モーヌン」にも

呼び名であるという以上の深い意味は確認できそうになく

 

仕方なく戻るボタンで検索結果を下げていくと 下の方に出てきたページにて

 

タイ語で「モーヌン」は「中等教育」を指すのだと書いてあった

日本に直せば「中学校」とか「中学生」になるのだろう

 

 

タイの蒸し米だとか精霊だとかには身に覚えがないのだが

中学生であれば筆者も通ってきた道なので 心当たりはある

 

しかし無意識にメモとして残したくなるくらいに

いつも何度でも 中学生や中学校のことを考えていたかといえば疑問である

 

当コラムにも度々書いてはいるのだが

筆者の中学生時代といえば黒より黒く暗黒期であり

 

「モテたい」という簡潔な承認欲求に憑りつかれた操り人形が

数々のブラックヒストリーを生み出した そんな数年間であった

 

もし今 何らかの形で命を落とすことがあれば

真っ先に転生したいのは中学生時分の筆者であり

 

それはつまりやり直しだとか 勉学や運動に励むだとか

あそこでもうちょっと上手く立ち回ってたら童貞喪失が数年早かっただろうなだとか

 

そういう類の後悔を数多く残した そんな数年間であった

 

間違いなく人生のターニングポイントのひとつであり

そのターニングポイントを全部間違えたせいで今の筆者があるのだが

 

そうこう考えてみたら 筆者が中学に無意識の執着を持つ

その理由もなんとなく分かるような分からないような気分になった

 

 

これ以上調べても 若き日の自家中毒で心がモヤモヤするだけなので

(ただでさえ新垣結衣の結婚でモヤモヤしっぱなしなのだ)

 

調査は打ち止めにした

仮説は立てられたが 「モーヌン」が何なのかの結論には至らなかった

 

手前味噌とはいえ 深層心理の面白さと恐ろしさ

そして自分がいかに何も考えずに動いているかを再確認した

 

その事だけを皆様にお伝えして このコラムに幕を下ろそうと思う

 

ただひとつ 追記するのであれば

 

「モーヌン」でいっぱいになった手元のメモ用紙に

配偶者がひとこと「まーごめ」と書いたことにより

 

このコラムのオチが 純度の高いお笑いファン向けになってしまったこと

 

それだけは「まーちゃんごめんね」と謝っておきたいと思う