コラムブログ「だが興味は持て」

気が向いたら書く!

「夏の終わり」に興味を持て

きっと世界の終わりもこんな風に味気ない感じなんだろうな

って具合に すごい速さで夏は過ぎていった訳なんですけど

 

個人的には「夏は暑い」という

夏の取扱説明書1ページ目に書いてある理由で夏が苦手なので

 

涼しい季節が来るのは万々歳 さよならずっとアモレアモーレ

 

但し『冬は寒い』という(中略)理由で冬が苦手なので

凍えそうな季節に筆者は愛をどうこう言うのだろう いけずな関係である

 

これまた個人的な感覚なのだが

どうも今年は夏の終わりを感じる瞬間が多かったように思う

 

「終わりが多い」という 一見矛盾した状態ではあるのだが

ただぼんやりと「夏も終わりだなぁ」と思う機会が複数回あったのだ

 

ひとつはオリンピックの閉会式 ひとつはパラリンピックの閉会式

 

この二つは国民的イヴェントなので特に説明はしないが

最後の花火に今年もなったな的な ノスタルジーと切なさが募る終幕だったと思う

 

ひとつは「RTA in Japan」という ゲームのオンラインイヴェントにて

 

簡単に言うと ひとつのゲームをいかに早くクリアできるかを披露する大会で

大トリのプログラムである「リングフィットアドベンチャー」を走者が制覇した時

 

馬鹿馬鹿しさと笑いと感動が入り混じった数十分間にどっぷり浸かった筆者は

この時間が終わってほしくないと何度も思う まさに祭りのあとのような瞬間だった

 

他にもラジオを聴いていて 番組最後に不意な打ち上げ花火の音が挟まれていた時とか

きっと五感に夏の記憶は染んでいるのだろう 湯上りのシッカロールの匂いのように

 

いささか単純な感覚ではあるが イヴェントの終わりが夏の終わりに直結していて

さては「夏=イヴェント」の図式が成り立つのだろうか とも思ったが

 

冬には冬の 恋人はサンタクロース本当はサンタクロース的なイヴェントや

リザードリザード包め世界を的な 風景の変化だってもちろんあるし

 

しかしながら 冬の終わりは歓迎されているフシが極めて強い

淡き光差すにわか雨 愛し面影の沈丁花と 春の訪れが例えられるくらいである

 

春も秋も「終わったなー寂しいなー」と感じることはあまり無いだろう

 

では何故 こんなにも夏だけ終わりを悔やんでもらっているのだろうか

 

きっとそこに明確な理由は無く 夏をありがたがろう!みんな遊ぼう!という

一種の押し付けにも似た 何となくの雰囲気があるだけなのではないかと思う

 

今年はたくさんの人たちが「何もしなかった夏だった」と言っていたが

よくよく考えると いつもの夏も特に何もしていない人はたくさん居るはずで

 

この夏は例年より騒々しい日が続くはずさ なんて言える年は

少なくとも筆者の人生には一度も無かった(寂しい人生と言えばそれまでだが)

 

そんな夏の思い出手をつないで歩いた海岸線に無縁の筆者ですら

イヴェントの終わりや花火の音で郷愁の念にかられてしまうのは

 

夏を楽しむ雰囲気が よっぽど巧妙に世の中に組み込まれているか

もしくは遺伝子レベルで 夏はこうあるべきが刷り込まれているのか

 

ただはっきりと言えるのは 本コラムをここまで読んだ読者諸兄お分かりの通り

夏をテーマにした歌曲が 他の季節に比べてあまりに多く存在することと

 

季節の歌を思い出す時のユーミン率もまた あまりに大きく鎮座していることである