コラムブログ「だが興味は持て」

気が向いたら書く!

「エイプリルフール」に興味を持て

新年度スタート!(花粉症と春眠で全く嬉しくありません)

 

という訳で 食品だとか公共料金だとかの値上げでお馴染みの年度始まりですね

中には入学式だとかお花見だとか 筆者にはあまり関係の話題もありますね

 

そしてとりわけ筆者に関係ないイヴェントが「エイプリルフール」

4月1日(厳密には当日の午前中)は嘘をついても許されるという行事である

 

何故エイプリルフールが筆者に関係ないと断言しているのか

普段から嘘ばっかりついているし それを普段から許して欲しいと思っているからだ

 

嘘と言っても 人を陥れるタイプの私欲を優先した嘘はつかない

というかそういうのがすぐバレるタイプなので バレてもいい嘘をついている

 

嘘をつくとか隠し事が出来ない人間であるのは 両親がどちらも警察官という

人の嘘を暴いてお金を貰うシステムの職業に就いていたのが関係しているかもしれない

 

筆者が18歳の頃 初めて出来た彼女しかも告白されたという事実を内に秘めて帰宅したら

その日のうちに母上から「何か良い事あったのか」と指摘され恐怖に慄いた出来事がある

 

誰にでも丸わかりなくらいにルンルンが顔に出ていたのかもしれないが

それほどインゴベルナブレス(制御不能)な性格である事を自覚し 隠し事は不毛だと知る

 

先の話と矛盾するようだが 昔に比べて嘘もつかなくなった

想像力が減少したのも理由だが 本当の事を言っているだけでもそこそこ面白い人生なのだ

 

このコラムブログにも 想像こそあれ創造を駆使して書いた内容はほとんど存在しない

 

読み物も段々と嗜好が寄ってきていて コラムやエッセイ 何かの解説書ばかり読んでいる

嘘を通して人の頭の中を読み取ろうという気概が年々薄くなってきている

 

そんな自分を少し寂しく思っている自分も 心のどこかに存在している

 

「うそをうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」

とは西村ひろゆき氏によるかの有名な言葉であり ある種の真理だ

 

まるっきりの嘘ではなくても 一部が恣意的に加工された事実であったり

建前だったり空気感だったり そういったものを見抜く力を要する場面は数多い

 

何が嘘で何が本当なのか ひょっとしたらこの世に本当の事など何も無いのではないか

 

嘘に慣れていない自分の頭をエセ哲学で慰めて

せめて自分だけは本当であろうと思い直し 嘘ならぬホラをどうせならつきたいと考える

 

「嘘つき」より「ホラ吹き」と呼ばれる方が何だか可愛げがあるじゃないか

 

ショーン・マクアードル川上」より「ホラッチョ川上」の方が可愛いじゃないか

 

そして話はエイプリルフールに戻るのだが

今年も少しでも世界を明るくしようという使命感のもと 数々のホラが世に放たれた

 

それらは殆どが雲散霧消し 私利私欲にまみれた嘘だけが残り続けている

 

だからこそ 我らホラ吹きはホラを吹き続けなければならない

嘘や事実だけが市民権を得るようではエモーショナル過多で内臓がやられてしまう

 

こういったポリシーに基づいてホラを産み出しているのだ

それを「嘘つき」と糾弾されたり 1日だけ恩赦を受けるような筋合いはどこにも無い

 

そうした志(そんな大したものではない)を少しでも形にするべく

筆者は毎年4月1日を勝手に「嘘をつかない日」として宣言しているのだが

 

「それもウソだろ」と周りに言われるまでがセオリーとなっている

 

全くもってホラ吹きへの道は果てしなく遠いのだ