コラムブログ「だが興味は持て」

気が向いたら書く!

「一人称」に興味を持て

最近テレビや動画などで「日本語における一人称の多さ」について見る機会があった

 

例えば英語の一人称は「I」のみであるが

日本語では「僕」「私」「俺」「手前」「あたし」「あたくし」「吾輩」と書ききれないほどある

 

その多くは 性別差やその人の立ち位置によって使い分けられている

もっと分かり易く言えば その人のキャラクターによって色付けがされているという事だ

 

筆者はこのブログ内では一人称を「筆者」としている

理由は過去のコラムでも述べたのだが まあ簡単に言うとこれもキャラ付けに他ならない

 

勿論現実世界での筆者が自分の事を「筆者」と呼んでいるかというとそうではなく

随想こそしているが随筆家には至っていないので それは当たり前である

 

恐らくもっと多くの人がこのコラムブログを読んでくれるようになれば

筆者は胸を張って大手を振って自分の事を「筆者」と呼べるようになる

 

マンガ家のアシスタントがベレー帽を被るかの如き 大言壮語なキャラ付けによって

筆者は自分を「筆者」と呼んでいるのだ どうやったらアクセス伸びるんすかね

 

話が逸れたので元に戻すと 日本語の一人称の多さが筆者は好きなのだ

 

普段の生活において筆者は「僕」「私」「俺」「わし」を使い分けている

 

以前体育会系の会社に勤めていた際 一人称を「俺」に絞って喋っていたところ

先輩社員から「生意気だ」という理由できちんと怒られた経験がある

 

その時には理不尽だなと思った筆者なのであるが

そのうちに縦社会においては「可愛がられる」才能がモノを言う事実に気が付き

 

それ以来先輩の前では「僕」を使っている もう癖になっているので戻す気もない

 

なお 社内文章中においては「僕」はどうも砕けすぎているので「私」に直すし

後輩の前ではイケイケを演じたくてついつい「俺」呼びが出てしまう

 

かくして本来の人格に一番近い呼び方が分からなくなってしまった筆者だが

それを取り戻すかのように最近は「わし」を使い始めている

 

ここで言う「わし」というのは 広島・岡山の方言における一人称であり

決して筆者がオジサンになったからの「わし」呼びではないとは断っておきたい

 

広島の中でも特に山奥で育った筆者にとって

「わし」呼びは男女問わず主流な一人称であるからして使うのも当然なのだが

 

中高生時代の思春期真っ只中で自分を「わし」と呼ぶ人は周りに居なかった気がする

 

これは「わし」呼びへの拭いきれないオジサン感・田舎感への反発か

あるいは通っていた学校がそこそこ都会にあり 方言が薄かったからなのかは分からない

 

そして筆者も大人になった

ずっとここに居るのだろうなと漠然と思っていた広島の地を離れて今は関西在住

 

関西弁という非常にアクの強い(かつメジャー感のある)言葉に囲まれつつも

何とか自分の出自・アイデンティティを失わんとする為の一本の槍

 

それが自分を「わし」と積極的に呼ぶようになった理由である

 

こればかりは付け焼き刃的なキャラクター付けではなく

自らの埋もれていたキャラクターを掘り起こした結果なのだと主張したいのだ

 

とはいえ近年は 千鳥を筆頭とした岡山出身芸能人が盛んに岡山弁を使うようになり

それに影響されただけのミーハー野郎だと思われてしまう可能性もある

 

自分に合った一人称を探す旅は今後も続くであろうし

ついでにブログアクセスを増やす旅も かなり迷路ではあるが続いていくだろう

 

どうすればアクセス伸びるんすかね