コラムブログ「だが興味は持て」

毎週土曜日(水曜日)更新

「ビンタ」に興味を持て

ウィル・スミスがクリス・ロックにビンタを見舞ってからおよそ一か月

今更感のある話題をほじくり返すのが好きな筆者にとっては良いタイミングだ

 

(ダイアンがラジオでよく言うNON STYLE井上の焼肉ダンスパーティの件とか

爆笑問題がずっとネタにしている船場吉兆の女将の件とか)

 

どっちが良いとか悪いとか それは複雑な話であるし当事者間の関係であるし

何より筆者自身がそこに関心が無いので触れない 断罪自体が罪になる時代だぜ

 

ふと思ったのは 何故ウィル・スミスは「ビンタ」という手段に出たのか である

 

言わずもがな暴力とはネガティブである なのであるが

 

同じ暴力を奮う(暴力を奮わざるを得ないと自ら感じている)場面で

どのような暴力手段を用いるかによって印象はかなり違うと思うのだ

 

例えばウィル・スミスがやおら壇上に駆け上がって司会者をグーで殴ったとしたら

ビンタよりもバイオレンスな感じがして 引いてしまう人ももっと増えただろう

 

極端な事を言えば「こいつは許せない!」と強烈に思ったのであれば

周りへの迷惑を無視してロケットランチャーか何かをぶっ放す手段もあるのである

 

(その場合 ロケットランチャーの持ち込みを許したアカデミー側の責任もある)

 

物理的な暴力だけではなく ウィル・スミスがその場でメモ紙を取り出して

「あいつ俺の家族バカにしたから無視な!」と書き 会場に回すという陰湿な手段もある

 

そういうやり方に比べれば ビンタとはいささか理性的であるように思う

誤解かつ胡散臭く思われる事を前提で言えば 愛があるとすら感じてもおかしくは無い

 

ビンタといえばアントニオ猪木である 異論は認めない

 

今では色々がうるさいので出来ないのであろうが

猪木のビンタは「闘魂注入」と呼ばれ ある種の縁起物として奉られている

 

猪木にビンタをしてもらいたい人々が列を成し 思いっきり容赦なく叩かれて

それでもされた側は満面の笑みという映像を筆者も幾度となく目にしてきた

 

別の話で言うと 筆者は母上から殴られた事が人生で2回ほどある

(不思議な事に父親から殴られた事は無い)

 

いずれもやはり平手打ちであったし 怒りに任せた単なる暴力とは感じなかった

そもそも自分が完全に悪い事をした上でなのでそこに理不尽を覚える筋合いも無い

 

思うにビンタとは 相手に純粋なダメージを与えるには向いていないのだ

当たるまでのストロークが長くて避けられる恐れもあるし 打面が広くて威力も分散する

 

攻撃側としても 相手の顔に手のひらがビッチリ付く形になってしまう

張った後の手が脂っぽくなってたら何かヤダなあとか想像だけでも身震いする

 

怨恨を晴らす目的であれば やはり鼻頭に目掛けてグーパンチ一閃しかあるまい

そうでなくてビンタを選んだのだとしたら そこには何かしらの意思があって然るべきだ

 

そういった両者の関係性だとか想いだとかにまで邪推は入りがちであるが

そういう事を考えるのは当事者だけで良いだろう そこまで考えられるほど暇ではないし

 

傍観者たる我々は 外側のみを受け取って色々考えるだけでいい

差別であったり家族であったり ビンタのフォームがあまりに綺麗だった事だったり

 

例えば自分は無関係な第三者にどんな形であれ暴力を奮っていないだろうか とか

 

かような虚弱ブログ書きですらそんな事を思うのだから

無責任にウィル・スミスもクリス・ロックも断罪する事など出来る訳がないだろう

 

つまり何が言いたいのかというと もしも筆者の何かが間違っていたとしても

それを無闇に裁くような事は止めてほしいという事である

 

もし断罪なのであればビンタを それも優しく頬を撫でるようなものが望ましい

 

それが麗しき美女の掌であれば尚更好ましい それこそが「愛」なのだと言いたい