コラムブログ「だが興味は持て」

気が向いたら書く!

「キャンプ」に興味を持て

ゆるキャン△」というドラマを見た

 

事前知識もほぼなく いきなり第3話から見始めたうえ

配偶者の姉の家に招かれて 手巻き寿司を食べながら見るという

 

どうにも特殊感が否めないシチュエーションでの視聴であったため

ドラマの概要を掴みきることなく だらーんと見終わることにした

 

とりあえず かわいい女子校生がキャンプをするドラマなんだな と

上澄みだけを雑にすくい取った感想を持ったのではあるが

 

世の中には 上澄みだけで楽しんだ方が良いものもある と僕は信じている

 

その理由が 深入りしてしまうと際限が無くなるから という

いわゆる「沼に陥る」というスラングで言われるものである

 

例えば ギャンブルにハマってしまうとギャンブルの事ばかり考えてしまい

日常生活を滅ぼしかねない というような有様で使われる言葉である

 

特に「キャンプ」だとか「女子校生」というジャンルは

一度沼に陥ってしまうとなかなかに中毒性のあるフィールドなので

 

うすーく「福原遥ってかわいいなあ」と思うくらいで済ませておかないと

沼に爪先くらいを付けた段階で抜けておかないと マズイのである

 

僕も既にいい年したオジサンであるので

女子校生の沼に腰まで肩まで浸かってしまうのは 世間体も倫理的にも良くない

 

条例ではどうやら「真剣交際であればよい」となっているみたいだが

31歳男性が女子校生と(しかもドラマで見た女子校生と)真剣交際を考えるのは

それだけで事案として脳みそを検挙されても仕方ないと思う

 

とはいえこれだけは言っておかねばならない

 

福原遥もかわいいけど 大原優乃もかわいかった」 と

 

 

そんな ドラマを見ていないとさっぱりピーマンな話は置いといて

 

今回は「キャンプ」について話を進めていきたいと思う

(『女子校生』について話を進めると気持ちの悪い展開になるからである)

 

世はキャンプブームであるが その一端には

キャンプが持つ「奥深さ」と「間口の広さ」が理由としてあると思う

 

先ほども書いた通りに キャンプの沼は深く果てしない

 

しかしそれだけでなく キャンプの沼は色々なところに点在しているのだ

 

 

僕は出身こそ 広島の街中のほうなのであるが

父親も母上もハイパー田舎に実家があり 僕の育ちは田舎だと言ってもいい

 

田舎育ちの僕は 自然への憧憬(および畏怖)をずっと持っている

そうでなくても 人というのは潜在的に田舎への憧れがあるものだと思う

 

田舎の持つ最大の特徴は「情報の少なさ」であり

都会生活や人間関係に疲れた身体を癒す要因にもなっている

 

何しろ現代社会は情報が多い 頭もパンクする

 

そんな状況を 自然が持つ「シンプルな風景」で洗い流したい

というのはもはや現代人の本能なのではないだろうか

 

一時期流行った「癒し系女優」という言い回しも

飾り気の無い造形美を持っている という意味合いがあって

 

何も考えることなく シンプルに綺麗な女性に癒されたい

ということだったのだろう これもやはり男の本能という他は無い

 

僕のような価値観の古い(≒情報社会に疲れている)男が

化粧きつめの女子校生を見て 顔をついついしかめてしまうのも

 

つまりはそういう事である

 

 

時代はシンプルを求めている

そこに合致したのが 大自然を使ったアクティビティである

 

大木に囲まれ 青々とした河川を眺め 波打つ海岸に見惚れて

 

そこに言葉を付け足すのは無粋である

娯楽に情報を貼り付けていくのは 研究者とブログ書きだけでよい

 

しかし自然というものは 癒しのみを持ち合わせている訳ではない

時として厳しい一面を突き付けてくる

 

「冬は寒い」「夏は暑い」「春と秋は花粉が飛ぶ」「雨が降る」「雪が降る」

「虫が出る」「風が強い」「川や海で溺れる」「地面に座ると尻が痛い」

 

これら全て 自然に由来する悩みである

 

自然は雄大がゆえに 人はちっぽけで

これらの悩みに対処するには 人は莫大な情報を使わなくてはならない

 

その情報を総称して「キャンプ」と呼んでいるのだ

そりゃあ間口が広い訳である

 

 

実際に キャンプというのは何でもありである

 

一般的なキャンプのイメージは テントを張って火を起こして

その火を使って料理を作り テントに寝袋で寝泊りをする

 

というものであろうが そこまで本格的でなくてもいいと思う

 

ただ単に釣りをするだけでも たき火をするだけでも

お弁当を作っていって食べるだけでも キャンプと言っていいのではないだろうか

 

大切なのは 自然と相対して楽しむ という姿勢であり

そこには自然への尊敬と ほんの少しの畏怖があれば良いと僕は考えている

 

ましてや 花見の席で桜の木を折ったりだとか

バーベキューで酔っ払って海で溺れたりだとか という話は

 

自然の前での自らの無力さを思っていれば 本来ありえない出来事なのだ

 

無闇に自然に手を出せば 自然からのしっぺ返しを食らうだろう

女子校生に手を出せば 国家からのしっぺ返しを食らうだろう

 

本当は恐ろしいものなのであるという事を 決して忘れてはいけない

 

 

という訳で 僕もゆるーくキャンプをやってみることにした

 

テントも立てず ただ椅子を置いて火を起こし

お湯を沸かしてコーヒーを飲んで カップ麺を食べる

 

それだけの事なのであるが 非日常感も相まってとても楽しかった

 

しかしながら それだけの事をするだけでも結構な準備が必要だったのも事実である

 

火を起こすのには 着火剤にバーナー 炭火と薪が必要で

それらを置くたき火台と 調理をするための網と飯ごうがあって

水や食材や 食器やフライパンも持参して 食材も仕込みがあったりで

 

という風に書き起こしていくと もう全く際限が無くなってくる

 

こんなゆるいキャンプであっても これだけの準備が要るのだから

本格的に寝泊りとかってなったらそりゃ考えることめちゃくちゃあるよね

 

この際限の無さが キャンプ沼の奥深さのゆえんなのだろうと思う

僕はまだ この沼に飛び込んでいく勇気を持ち合わせていない

 

しかしこんなに大変だったキャンプの準備や 当日の火起こしを

ほぼ滞りなく進められたのは 僕の配偶者の先導によるものが大きい

 

彼女は僕より先にキャンパーへの道に足を踏み入れており

得た情報とその活用力にものすごく救われたのは紛れもない事実である

 

僕のようなシンプルヘッドは 準備とか予測とかが非常に苦手である

(この文章もオチを決めずに書き進めているくらいだ)

 

配偶者の買い揃えた道具と 経験と思慮深さにより

僕のキャンプデビューは上々の滑り出しを見せることになったのである

 

 

しかしそれでも 自然の驚異に立ち向かう術が全部あった訳ではない

 

「冬の海沿いは寒い」という当たり前のことを忘れていて

夏用の靴下で挑んだ僕の爪先は容赦なくかじかんでいったし

 

「腰痛持ちには座りっぱなしの体勢はきつい」という再認識により

もっと良いアウトドアチェアーを導入せねばならない という反省点も生まれた

 

「お前の身体がキャンプに向いていないのでは?」というもっともな疑問はともかく

キャンプを知れば知るほど 自然への畏怖も深みを増すのだと感じたのだ

 

大自然と嫁には逆らうべきではない といったところであろうか

 

 

こうしてキャンプ者への第一歩を踏み出した僕であるが

これからも沼に浸かりすぎることなく キャンプを楽しんでいきたいと思う

 

深入りするには 体力と予算がちょっと足りないので

文字通りの「ゆるキャン」の感覚でやっていきたい

 

とはいえ 知らない間にずぶずぶはまっていくというのも

「沼」と呼ばれるからには 充分ありえる話なのである

 

僕がまた無意識のうちに「『キャンプ』に興味を持て」というタイトルで

記事を書いたとしたら そういう事なのだと皆様も判断してもらいたい

 

僕がまた無意識のうちに「『女子校生』に興味を持て」というタイトルで

記事を書いたとしても そういう事なのだと皆様に判断してもらいたい

 

まだ書いていないので 通報するのは勘弁してもらいたい