コラムブログ「だが興味は持て」

気が向いたら書く!

「オタク」に興味を持て

前回の記事を書き終わって しばらくしてから

不意に配偶者から声をかけられた

 

「あなたは書き物について レスポンスが欲しいタイプ?」

 

この質問は 正直言って怖いタイプの質問である

何が怖いって 意図がまだ見えないところに恐怖を感じる

 

ひょっとすると 前の記事を配偶者ネタで落としたことに関して

しかもある種のネガティブをもって落としたことについて怒っているのだろうか

 

そこについての懸念は 書いている時から思っていた

 

僕と彼女との長い付き合いとはいえ

自分の姿(しかも寝姿というコントロールの効かない部分)をオチに使われるのは

 

どうにも気分良くなく思われるのではないかという懸念があった

 

しかし相手は寝ているので 許可も確認も取れたものではなく

無理やり起こしてしまうとそれ以上の逆鱗に触れるのは経験則が語っている

 

ということで 前回の記事はそのままにして落とした

 

今思えば もっとコンプライアンス的にもネタ的にも良い落とし方があったのかもしれぬ

それをどうしても思いつかなかったというのは 僕の力量と努力が不足しているからだ

 

つまり頭の使っていない部分をひねり起こせば どうにかなる事態であり

それをしていなかったのはひとえに僕の怠惰が起こした状況であり

 

よし そんな感じで謝ろう

 

謝ったら記事を書き直そう

記事のクオリティがどうなるかは分からないが 怒られるよりはマシである

 

 

(この間おおよそ1.5秒ほど)

という具合に腹をくくって 僕は意を決して聞いてみた

 

「うん どうしたの?」

 

すると配偶者は 僕の思いもよらない角度から話を進めてきた

 

「海外の人は作品名を略さずにそのまま言ったりするよ

オタクは早口だから 別にそれでも支障が出ないんだよね」

 

僕は作らなくてもいい砦を建設していたことをまず恥じた

そしてすぐさま 脳内に組みあがった張りぼての要塞に解体指令を出すことにした

 

 

僕の配偶者のスペックであるが

 

高校生の頃にアメリカ留学をしていたり

海外のサイトから個人輸入をして欲しいものを入手していたり

 

外人のYouTuberがよく上げている 大袈裟系リアクション動画を

なんとなくヒアリングできたりするくらいには英語が使えるらしい

 

僕はというと 英検5級にギリギリ合格という語学力と

 

横文字のワードが3つ以上インサートされているセンテンスを見ると

途端に読む気が無くなるという 生来の怠惰っぷりが足を引っ張っており

 

英語に関して彼女に任せっきりになっている

 

(他にも色々任せっきりになっているところはあるのだが

夫婦の力関係から容易に推察できると思うので今回は割愛する)

 

 

そんな配偶者から出た この件に関する重要なキーワードが

「オタクは早口」という部分にあると 僕は考えた

 

あらかじめ言っておきたいのだが 僕はオタクではない

 

ついでに言っておきたいのだが 配偶者もオタクではない

(本人がそう言っていたので間違いない)

 

そもそもなんだけれど オタクとは一体何なのであろうか

Wikipediaの「おたく」の項目にある定義から抜粋すると

 

おたくとは何か』という定義は、未だに確立していない。

 

とある

 

これを見て僕が思ったのは「この役立たずめ!」という罵倒と

「ならば各々自由に定義してもいいよな」という ある種の開き直りである

 

 

という訳で 僕が考える「オタク」の定義とは

「自分のことを『オタク』だと思っていない者」を指すとしておきたい

 

皆様におかれましても 周りにいるちょっとオタクっぽい人に

「あなたはオタクですか?」と聞いてみてもらいたい

 

すると 十中八九の割合で「オタクではない」と早口で否定されると思う

 

これは 本来オタクとは奥ゆかしき(a.k.a.日陰者)存在であり

自分をオタクとして奉られることに 違和感と恥ずかしさを覚えるからである

 

つまりこの「オタクではない」という言葉の裏には

「私はオタクと呼ばれるほどの存在ではない」という謙遜が含まれているのだ

 

 

オタクとは 長いこと(現在もかもしれない)迫害されてきた存在である

 

マジョリティによって作られたステレオタイプのオタク像により

「汚い・臭い・経済観念が無い」というオタク3Kに押し込められて

 

オタクアパルトヘイトの名のもとに 不当な扱いを受けていた歴史がある

 

しかしそれら「オタク」という呼び名が

一部の目立つ存在のみをフィーチャーした言葉であること

その枠に当てはまらないオタクも存在するということは

 

長い時間をかけて ゆっくりと証明されてきたのは諸兄ご存じの通りである

 

そうした歴史が オタクを無意識のうちに奥ゆかしく(a.k.a.卑屈に)させたのだ

それは「オタク」という言葉が一定の市民権を得た現在でも 変わることはない

 

 

そしてもう一つ

オタクは「オタク」という存在が市民権を得ることに若干の反発心を持っている

 

これには複数の要因があり つまるところ

 

「散々俺らをバカにしてきたのに 今更良いように扱われてたまるか」

「俺らが作ってきた文化を 外から改変されるのは納得がいかない」

「こっちは自分のことで忙しいので 放っておいてくれないか」

 

などという 古式ゆかしいオタクの複雑な心理によるものが大きいと僕は思っている

 

その複雑な心理は時に「ツンデレ」などと言葉を当てはめられ

オタク文脈は更に広がりを見せていくのが オタクの奥深きところである

 

 

ここである疑問が湧くであろう

「自分のことをオタクだと思っている人は何なのか?」というポイントである

 

これについては ほぼ100%僕の偏見で書くのでご容赦いただきたい

 

特に 自分のことをオタクだと周りに吹聴して回っている者にありがちなのは

自身のキャラクター付けとして「オタク」という言葉を使っているに過ぎない

 

先ほども述べた通り オタクはオタクという存在に陽が当たることを好まない

オタクがメジャーになることでの功罪を知っているからである

 

(功の部分より罪をまず考えてしまうのがオタクならではである)

 

そんな奥ゆかしい(a.k.a.根暗クソ野郎)オタクが

自分の事をオタクであると 堂々と光を当ててステージングする

 

そんな訳がないのである

 

 

更に言うと オタクというのは常に上を目指す存在である

(落ちていく底が既に存在しないからではない)

 

これはオタクの慎ましい性質から来るものであり

「更に知識を蓄えたい」「もっとコレクションを集めたい」と

 

自らの好きなものに対して 研鑽を惜しまないという姿勢の表れと言える

 

故にオタクは「自分は(好きなことへの研究が)まだまだである」と

自らがオタクであるということに否定的になるのである

 

実際に 自分のことを「オタク」だと言った者へ追究をしてみると

その実 大して詳しくもオタクでもないという事は往々にしてあるもので

 

これは「どんな音楽聞くの?」と聞いて

自信満々に「何でも聞きます!」と答えた相手が

 

実際にはヒップホップやヘヴィメタルは聞いていなくてガッカリ

という事例(僕のである)にもそっくり当てはまるだろう

 

 

以上により 自らを「オタク」としている者に関しては

それはオタクではないと言ってしまって良いのではないかと僕は考えている

 

なお どこからどう見てもオタクではない存在

例えばヤンキーやヤクザといった方々についでであるが

 

彼らに「あなたはオタクですか?」と聞いたところで

「あ?なめてんのか」と答えになっていない答えが返ってくるのは明白なので

 

今回は調査の対象外とすることにした

いわゆる「アウトオブ眼中」というやつである

 

 

話は戻るが 僕自身はオタクでもなんでもない

ただし「オタク的」なところが自分にはあるとは思っている

 

例えばこの項の序盤に書いた「早口」だとか

興味の湧いたものに対して長々と喋ってしまう だとか

 

そうした点で「オタクっぽい」ところはあるなーと自認はしているのである

 

 

そんな事を書いているこの記事も いささか冗長になってきた

この辺りで キーを押す手を一回止めてみようと思う

 

最後に一つだけ言っておくとするならば

 

「話が長くなりすぎて何の話をしていたのか忘れてしまう」というのも

オタクあるあるだよなーと思ったりもするのである