コラムブログ「だが興味は持て」

気が向いたら書く!

「ひとり遊び」に興味を持て

何かを書こうにも 思考がどうにも外に向いていかないので

仕方なく内に向けて何かを考えようにも

 

元々が空っぽなので 考える材料が足りないのであった

 

しかし人間が空っぽであるのが幸いして

このご時世にしては 呑気に生きていられる我が身である

 

人と争おうにも 争うための武器が何もない事を知っている

付け焼き刃を付けて焼くための棒切れすら持っていないので質が悪い

 

肉体的にも精神的にも 喧嘩で勝てた試しが無いもので

いつしか争うという事すら忘れてしまっている

 

今の今まで「多動力」なる力で生きていた人達が

自由に動けなくなった途端に エネルギーを持て余しているのを見て

 

バイタリティがあり過ぎるのも考え物だなと 独りごちる

 

とはいえ人の動きもどうしても目に入って気になってしまう

彼らと比べて自分は今どうしているのだろうか 自意識は尽きない

 

ネット社会に生きる我々は 人からどう見られているのだろう

 

今日のブログはそういうお話

 

 

携帯が震えたので見てみると 厚生労働省からアンケートLINEが来ていた

 

筆者には未納の年金があるので 厚労省とあまり顔を合わせたくないのだが

給付金貰ったら払うから と未来の自分に契約を結ばせた上で質問に応えた

 

幸いにも まだ熱も無ければ呼吸器の乱れも無い筆者

倦怠感はあるが それは恐らくすけべサイトの濫用によるものである

 

アンケートにすいすい応えていくと とある箇所にぶつかった

 

持って回った回りくどい言い方の質問だったので

正確な文章は失念してしまったが

 

たしか「2月以前を100%として4月は何%人と接触したか」

みたいな書き方だったと思う 

 

つまるところ「政府の言う接触人数8割減を守れているか」という内容である

 

 

こいつは困った 困ったには理由がある

 

2月の筆者といえば「無職」という名のこの世の春を謳歌していた時期である

お金も無いしお天道様に会わせる顔も無いので しっかり引きこもっていた

 

筆者だけは #STAY HOME を先取りしていたと言ってもいい

流行発信基地という意味では 筆者の事を歩くパリコレと呼んでくれてもいい

 

 

意識が外に開かれず 頭の中は不安でいっぱい という意味では

都知事に「密です」と指摘されても仕方ない生活ではあったものの

 

毎日配偶者と会う以外 誰とも濃厚接触する由もなく時は流れていた

 

そうしてどうにか職を見つけ 晴れて娑婆へと放たれて

テレワークの「テ」の字も無い職場で汗をかく筆者は

 

2月に比べると 段違いと言える数の人達と接触を行っていることになる

 

単純に考えると 2月以前を100%とした場合

筆者の4月の接触者数は 軽く5000%を超えてくるのだ

 

よもやこんな数字をアンケートに入力する訳にいかず

というかそんな想定の選択肢はアンケートに存在しておらず

 

「どうだったかなーエへへへ」といった顔をして

「100%」と書かれた画面をタップする筆者の姿がそこにあるのだった

 

 

という訳で コロナと言えど筆者の生活に大きな変化はなく

 

しかし変化を余儀なくされた方々も多いことは重々承知である

 

実際に とある種類のサービス業に従事する配偶者は

所属する会社が休業であるからして 自宅待機の身の上となっている

 

今はリモートワークと称して PS4のコントローラーを握り

ライトボウガンを片手に新大陸の調査を進めているのだ

 

そんな自宅に居なければいけない人達へのニーズに合わせて

「おうちエンタメ」と呼ばれる 外出せずとも消費できる娯楽が増えている

 

ネットフリックスやアマゾンプライムが隆盛を極め

あらゆるネットサービスが 無料で過去の漫画やテレビを開放し

 

表現の場を失ったアーティストが YouTubeSNSに作品を広げている

 

それら全て 有り余る時間を自宅で過ごさなくてはならない方々へのサーヴィスである

巣ごもりにて時間とウイルスが過ぎ去るのを待つための材料である

 

とはいえ自粛生活が失わせた 人間生活の根本である

人と人との繋がりが復旧するには遠く及ばなかったので

 

「テレ」とか「リモート」とか呼ばれている

疑似的な電気信号によるコミュニケーションで賄わなければならなくなり

 

しかし疑似コミュニケーションでは満足できなかったとある議員さんが

とあるすけべ接待のお店に行っちゃって 生きている実感を堪能されていたり

 

(この世のすけべ産業の大半は疑似で成り立っているのに である)

 

とにかく引きこもるにも才能が必要なのであると

この短い期間で誰もが思い知ることとなった昨今である

 

 

かくいう筆者は 自分の生活に変化があまり無いからなのか

それとも持って生まれたひねくれ根性が災いしているのか

 

良く言えばおおらかに 悪く言えばおおらかに日々を過ごしている

 

そもそもの人間的バイタリティが不足しているので

この電脳世界に数多溢れる苦言や提言に耳を貸す余力もなく

 

「JIN -仁-」の再放送を観るより優先される提言などあるものかと

ある種の諦念を持ってしてSNSを遮断し ドラマに耽溺しているのだ

 

あるいはラジオを聴いたり 音楽を聴いたり 筋トレしたり本を読んだり

ご飯を作ったり 掃除をしたり たまには少しだけ散歩をしたり

 

自分には豊富に「独りで完結できる趣味」があると気付いたのである

 

厳密に言うと 他者からよく「趣味が多いね」と指摘を受ける時点で

それらの趣味がほとんど 自分のみの世界を形作るものだと感づいてはいた

 

そうした「ひとり遊び」が今この状況で功を奏している

自粛生活の中での時間の使い方に 大いなる影響を及ぼしている

 

 

しかし勘違いして頂きたくないのは 別に他者との触れ合いだとか

人と遊ぶのが嫌いだとか そういう意味ではないのである

 

そりゃあ僕だって人並みには 友人にも会えず寂しいとは思っているさ

SNSでのバトンが誰からも回ってこないのを 気に病む瞬間だってあるだろうよ

 

久しぶりに携帯が振動して 誰かなーと思ってわくわくで手に取ったら

厚生労働省からのアンケートLINEでがっかり って程には人恋しくある

 

とは言え 家で独りで過ごすのも別に苦ではないってだけであり

前述を引用するなら 「引きこもる才能」に長けているだけなのである

 

 

コロナウイルス以前と以後で 世界の在り方は全く変わるとの意見がある

 

個人的には その意見に首を縦に振るばかりではないと思っている

産業や経済の最先端はともかく 人間の心根の部分はあまり変わらないのではないか

 

というか「世界」とか「社会」とか 分母の大きいくくりでの話に

徐々に意味が無くなりつつあるのではないだろうか

 

個人は個人であり 社会もまた個人の集合体である

 

個人から社会的なレッテルが剥がされた時に何が残るのか

その助けになるのが「ひとり遊び」なのではないかと思うのだ

 

 

くだんの自粛生活は 個人が個人である由縁を探すのに最適な時間である

外に出なくてもインドに行かなくても 自分探しは出来るってもんである

 

「自分はこれが好き!」という 確たる何かを見つけてみる

それが独りで出来るものなのであれば しめしめとばかりに耽ってみよう

 

それが独りで出来ないものなのであれば 今はじっと我慢の子

 

本当にバーベキューが好きでやっているのであれば

こんな時代に進んで石を投げられるような 思慮の無い真似はしない筈である

 

本当にテニスが好きなのであれば テニスサークルではなくテニス部に入る筈である

 

 

それはともかくとして また一つ電脳世界に提言をした以上

「『何か』を見つけよう」という責任感に欠ける言い回しで締めるのは良くないだろう

 

具体的には何がおすすめか?

 

例えばコラムブログを書いてみるのはどうだろうか

時間潰しにはもってこいだ 何しろこの記事も書き始めて3時間経つ

 

書いているうちに何が言いたいのか分からなくなって

文章のまとまりが無くなり どうにか文字数を埋めるのに3時間かかった

 

自粛するための時間がもう少し欲しいとすら思う 今日この頃である