コラムブログ「だが興味は持て」

気が向いたら書く!

「ヘヴィメタル」に興味を持て

なんでもかんでも「平等に」と声高に叫ばれるけれど

平等の方法を考えたときに 不平等を感じるケースもあると思う

 

あるいは不平等を求めている人もいて

もしくは「平等に」と叫べるその立ち位置を羨ましがったり

 

結局は無いものねだりなのに 「持っている」人を削ろうとする

その持ちものが自分に廻り巡ってくるとは限らないのだけれども

 

今日のブログはそんなお話

 

 

久しぶりに映画を観た

 

元々ドラマとかアニメとか そういう類のものを全然観ないのだが

こと映画になると「2時間はきつい」というバカな理由で更に観なくなる

 

恐らく2020年に限って言えば 映画館で観た映画は皆無であり

 

映画版鬼滅で煉獄さんに世間がフィバっていた時も

ジャンプ本誌で無限列車編を数年前に読んでいた身としては「今更?」が正直な感想で

 

その後何となくテレビをつけていたらやっていた鬼滅のアニメを見て

「こりゃあ流行るわけだ」と アニメならではの魅力の引き出し方に感服して

 

それでも鬼滅のアニメは全然観ていない

「30分はきつい」という クソバカな理由で全然観ていない

 

 

多分なのだけれど 自分のペースで楽しめないエンタメというのが少し苦手なのだと思う

 

音楽とかラジオだったら 何かしながら楽しめるし

実際現在も イヤホンをパソコンに繋いで音楽を聴きながらブログを書いている

 

テレビのバラエティも 飯を食いながらとかで楽しんでいるし

 

しかし「誰かが作った物語」を楽しむには ながら族では頭がついていかない

元々ポテンシャルの少ない集中力を 更にフル稼働させて理解しているのだ

 

ちなみに小説や漫画は ページを進めるスピードは自由なので好きである

 

ということは ここまで筆者が偉そうに書いていたことは

ほとんど「視聴者のわがまま」という一言で片づけられるのだろう

 

ここまで書いたおよそ500文字を ぎゅっと濃縮して球速を速くして

悪い意味で相手を選んで投げつけることを「クレーム」と呼ぶのだろう

 

誠に言葉数というのは大事である 道理で筆者がツイッターに向いていない訳だ

 

 

そんな筆者が およそ5年ぶりに映画館で映画を観た

ちなみに前回映画館で観たのは「シン・ゴジラ」である 娯楽大作で面白かった

 

今回観たのは「ロード・オブ・カオス」という映画である

お世辞にも世間知名度が高い映画ではないので ちょっとだけ説明をする

 

 

舞台は80年代から90年代初頭のノルウェー

 

バンドで世界を変えることを夢見るオイスタイン青年は

数々の出会いと数奇な運命により 自分の理想の音楽を作り上げていく

 

しかし歯車は少しずつ狂い続け 苛烈さを増していく身の回りの人々に

疑問を持ちながらも突き進んだ結果 悲劇的な結末が待っていた……というもの

 

物事の理解力に難がある筆者が 何故1回観ただけの映画のあらすじをすらすら言えるのか

それはこれが実際の出来事を下敷きにした「半分、ノンフィクション」であるからに他ならない

 

オイスタイン(ステージネームは『ユーロニモス』)の周りの登場人物には

 

舞台上で身体を切り刻みながら 血まみれで地獄の咆哮を唱え続ける

死に憑り付かれた男「ペル(ステージネームはその名も『デッド』)」や

 

平々凡々な身の上にコンプレックスを持ち 過激さに憧れ自らもバンドを作り

やがて教会放火などの犯罪に手を染める「クリスティアン(『カウント』)」など

 

一般的な倫理観において ほとほと論議埒外にある人たちが沢山出てくる

 

もちろん彼らも実在の人物であり その行いは映画内で克明に再現されている

(この再現性が 筆者の作品評価をストップ高にさせている一因でもある)

 

当然のように オイスタインも一筋縄でいく人間である訳がなく

 

最初は悪ふざけの延長線だったバンドも 少しずつ支持を得るにつれて

彼の野心と同調するように 過激・苛烈・激烈に進化を遂げていく

 

例えばボーカルのデッドは ライブ中の自傷行為に飽き足らず

 

(この自傷もしっかり再現されていて 目を背けたくなること必至である

筆者はこのシーンで ずっと自分の金玉を握り続けどうにか心の平穏を保っていた)

 

動物の死体の臭いを嗅ぎ ステージ衣装を土に埋めて放置

なんとか自分を死者と同態に近づけようと 本気で試みていたのである

 

そんなデッドの生涯は ショットガンの一発で絶望的に幕を落とす

 

その第一発見者であるオイスタインは あろうことかその光景を写真に収め

(あくまで噂であるが)頭蓋骨をアクセサリーにし 脳味噌をスープにして食し

 

自分を狂気に憑り付かせ オイスタインを殺しユーロニモスに変身する

(この辺りは映画終盤のある人物のセリフに示唆されているのであまり言及しない)

 

重ねて言うが これら全て90年代ノルウェーで起きた実話である

 

彼が作ったバンドは「メイヘム」といい

彼が興したムーブメントを「ブラックメタル」と呼ぶ

 

 

ちょっとだけ説明をする予定が 大幅に説明をしてしまった

それら全部 この映画で描かれた出来事が魅力的だからである

 

「魅力的」と言うと その内容の狂気性からして語弊があるかもしれないが

すべからくブラックメタル ひいてはヘヴィメタルには狂気がないと始まらない

 

さて読者諸兄におかれては ヘヴィメタルにどういう印象を持っているだろうか

 

髪の長い奇抜な格好をした男たちが 火を噴きながら騒音をかき鳴らしていたり

喉を潰しながらメロディの無いボーカルをひたすらに垂れ流していたり

 

白塗りに髪を逆立てて「10万〇歳」を自称していたり

 

それら全てが メタルにとっては正解である

ヘヴィメタルはこの世の全ての過激とうさん臭さを取り込んだ音楽だからである

 

だからこそ 忌み嫌われ評価の外に置かれがちなジャンルではあるのだが

ハマってしまうとこんなにも出口の見つからない音楽は他に無いだろう

 

そもそも理屈でメタルを好きになっていないし

体内細胞がメタルを求めるから聴いているのであって 出口を探す必要もない

 

筆者は幼少期にオルガン教室を3カ月で放校し

学生時のギターの授業を「右手と左手で違う動きができない」で落第し

 

最終的には「音は出るから」という理由で大太鼓パートに落ち着いたほどの

産まれながらの音楽素養の無さでサバイバルしてきた男なので

 

ヘヴィメタルブラックメタルが 音楽的にどう優れているのかは書けないが

 

音楽を理屈で捉えていないからこそ メタルにハマれたのかもしれない

 

 

筆者が通っていた高校では 毎年晩夏に行われる体育祭にて

マスゲーム」と呼ばれる花形の出し物があり

 

北朝鮮の軍隊とかがやっているアレである)

 

そのマスゲームにて流すBGMが 何故か伝統的にヘヴィメタルだったのである

 

しかしながら マスゲームは花形であるからし

筆者のようなヘドロ型の青春を送る学生が携われる代物ではなく

 

マスゲーム本体には目もくれず 漏れ聞こえるBGMにそっと頭を振り

最寄りのツタヤの試聴機で その曲が何だったのかを探すことに耽溺する若者だった

 

筆者にとって マスゲームにて使われていたラプソディーやソナタアークティカといった

きらびやかな音楽は文字通り「マス」の音楽であり

 

その後何気なくジャケットの美しさに惚れて触れた

クレイドル・オブ・フィルス」のCDにて開かれたブラックメタルの世界が

 

自らの暗黒青春時代にフィットしていた それだけのきっかけだったのだ

 

 

映画中に登場するオイスタインは 明らかに才能と行動力と

何より周りの環境に恵まれ(呪われ)ていたのだが

 

そんな彼の境遇が 筆者のようなポーザー(素人)にも共感できるよう描かれている

 

確かに彼の生涯もまた悲劇であったけれど 何かを成し遂げた

そういう意味では この映画は完全なる青春ロードムービーである

 

そして主演のロリー・カルキンの どこからどうみてもカルキンの血脈であろう

印象的な目の演技に虜になること請け合いである!

 

 

とても3000字のコラムでは収まらない熱量がある映画なので

もっともっと語りたいことがあるのだが 最後に我が身の上に起きた話を

 

筆者が大学2年時の新入生歓迎会にて出会った

 

周りの皆が好きな音楽として エグザイルや湘南乃風を挙げていく中

ひとりだけ「ブラッド・ステイン・チャイルドが好きです」と恥ずかしそうに言い放ち

 

「(メタル好きの)俺が居なかったらどうするつもりだったんだ」と筆者に言わしめ

その後仲良くなった 1学年下の後輩だとか

 

筆者が高校3年生の時に組んでいたバンドのギタリストで

小遣いやお年玉を貯めてギターや録音機材を買い 自作曲も作り

 

学内でゲリラ的に 聖飢魔Ⅱやセックス・マシンガンズコピーバンドをやって

その後当然のように大学受験に失敗 浪人して疎遠になってしまった同級生S君

 

あいつらは今 何をしているんだろうなあ?