コラムブログ「だが興味は持て」

気が向いたら書く!

「濃い味」に興味を持て

物事を自分で選ぶというのは勿論大事であるが

偶然の出会いに身を任せるというのも 時にはいいものである

 

そう思って この頃はFMラジオを付けてみたり

知らない誰かが作ったSpotifyのプレイリストで音楽を聴いてみたりしている

 

ただし前者はともかく 後者にはある程度の選曲の偏りがあり

恐らくSpotifyのAIが筆者のパーソナルを感知してプレイリストを提出してくる

 

「どうせこいつこんなん好きやろ」と思われているみたいで癪なのであるが

事実その通りである事が多いので感情論以外の反論が特に見当たらない

 

前置きが長くなったが 筆者がSpotifyで90年代J-POPに耽溺していたところ

流れてきた曲がエレファントカシマシの「今宵の月のように」であった

 

例に漏れず筆者の好きな曲なのであるが 自分で聴こうと思って聴いた事は無かった

テレビやラジオ 有線などでBGM的に流れているのを聞いていただけなのだ

 

何故なのだろうと思って しばし集中して曲を聴いてみて分かった事がある

 

言葉(歌詞)の密度が非常に濃いのである

 

著作権の問題が曖昧になるので 詳しく詞を引用するのは控えるが

宮本氏の熱のある歌唱と相まって 家系ラーメンのスープの如く濃く絡まって届いてくる

 

これはまた 2010年代以降の言葉数が非常に多くなってきた邦楽とも違うテイストで

言うならば耳に(頭に)わざと引っかからせる言葉を放っているような感覚

 

簡単な言葉を使ってしまうと「言葉の重み」なのだと思う

 

勿論フックが沢山あるというのは素晴らしい事なのである

なのであるが 筆者のようなハイリーセンシティブにはちょっと濃厚過ぎる

 

(自分の事を『繊細』と呼ぶ事についてすら考えてしまう辺りが

ハイリーセンシティブたる由縁なので この自己評価について異論は受け付けない)

 

毎日のように家系ラーメンを食べられるほど強靭な内臓をしていないのだ

これは完全に受け取り手としての筆者の問題なので 曲の価値を下げるものではない

 

ただし虚弱体質の癖に濃い味好みではあるので

たまに流れるお洒落気取りの薄い音楽を聴いてちゃんとつまらないと思ったりもする

 

つまり筆者にとってこの曲は テレビやラジオで不意にかかるのが丁度良い曲で

それを「好き」と呼ぶのに若干の躊躇こそあれ 矛盾ではないと意見したいのだ

 

というのも「好き」の形にも色々あると思っており

 

筆者はカルピスが大好物であるが カラオケの飲み放題プランでカルピスを飲み過ぎて

友人宅でダウンしてしまい その日の晩餐である焼肉を食い逃した事未だに覚えている

 

それでもカルピスを嫌いになる事はない 用法容量を守らなかった自己責任である

 

言葉についてもそう

 

世に溢れる名言集みたいな本は 筆者にとって家系スープの濃縮還元みたいなもので

たまにパラパラめくると刺激になるが 根を詰めて読むと頭が混乱してしまう

 

いつもいつも濃いものを摂取していては疲れるし味覚もおかしくなってしまう

たまには七草がゆでも食べて身体を落ち着けねばならないと思うのだ

 

本でも曲でも食べ物でも そしてコラムブログであってもだ

 

という訳で今日はオチ無しの内容薄めコラムでお送り致しました

 

(『いつも大した味してねーぞ』というツッコミでこの文章は完成しますので 是非)