コラムブログ「だが興味は持て」

気が向いたら書く!

「天才」に興味を持て

きっとコラムやネタの書き方ひとつにしても 色々な案の出し方があるのだと思う

 

頭の中に自分の世界を持っていて その中に居る人や物や現象や

そういったものを自由自在に動かせる人に 筆者は憧憬の念を持っている

 

現時点での話ではあるが ほぼ100パーセントと言って良いくらいに

外部刺激からの思い付きでこのコラムを書いている

 

何かがあって それを筆者が見て(聞いて) それについて何を考えるのか

それの繰り返しである コラムに限らず普段喋る事もほとんどがそうだ

 

であるからして 世の中を驚かせるような突飛な発想は筆者からは出てこないだろう

もう既に存在している物に対してしか 思考を働かせる事が出来ないのだから

 

「何を考える」のところを飛躍させれば良いのだろうか

しかしながら僅かに自意識に残っている「常識」の部分がそれを邪魔する

 

(『突飛』と『不道徳』を履き違えているのかもしれないが 筆者の中でそれは≒だ)

 

無意識の中でも意識的であっても 自分の考えにブレーキをかけて表現している

そりゃそうだ 自分の頭にあるもの全部出したら私の世界はきっと終わってしまう

 

文字の世界では特に顕著であるが ブレーキのかかっていない言葉は扱いが難しい

よっぽど上手く乗りこなさないと平気で凶器になり得る

 

特に見たいと思わなくても 人が人に刃物を向ける光景が目に入ってしまう時代だ

 

不道徳かつ そんなものはもはや突飛ですらない

言葉を上手く使って人様を良い気分に出来る方がよっぽど突飛である

 

頭の中にあるものをそのまま出しても エンターテイメントにはなりっこない

(このコラムがその証拠である)

 

しかし稀に 自分の世界を発露させたままそれを貫ける人が居る

理屈ではなく説明のしようがない ありふれた形容で「天才」と呼ばれる人たちだ

 

そして得てして天才というのは苦悩する

自分の持つ才能と社会との狭間において 常人には分からない範疇で悩む

 

ムンクは不安症や幻覚にまみれた自分の境遇をそのまま「叫び」として表現した

絵画技法や理論は当然あるとはいえ ネタ元は自分の中に存在するもので間違いない

 

天才は悩む じゃあ何故天才ではない自分も悩んでいるのだろうか

 

生まれ持った性質が起因してか 悩みの無い人生は送る事は難しいと思う

それは周りの目であったり 繊細さであったり 社会性の無さであったり

 

そういった欠けているものに対して どうにも才能が吊り合わないと言っているのだ

 

頭の中にワンダーランドを想起できなくとも せめて言葉で人の感情を動かせないか

ありふれたものに対する突飛な視点を見い出せないか 更に悩みは増える

 

そして今日も どこまで近づいても全然開こうとしない自動ドアに向かって

「俺もお前みたいに鈍感になりたいよ」と独りごちる筆者がここに居るのだ