コラムブログ「だが興味は持て」

気が向いたら書く!

「ハロウィンと黒歴史」に興味を持て

以前から度々コラムのネタにしているが 各々が持つ黒歴史について

 

若さゆえの過ちだとか 自己顕示欲の大暴走だとか

そういったものの中で あくまで口に出して話題に出来るものを黒歴史と呼ぶのだと思う

 

例えば筆者であれば 中学生の時分ファッション誌に憧れてヘアセットがしたくなり

コンビニで買ったウーノで髪の毛を固めるも全然上手くいかず

 

整髪料の配分を間違えて頭部がドロドロになり

「あいつはちゃんと風呂に入っていないのでは」と陰口を叩かれた過去であったり

 

そこからしばらくして 相変わらずセットが決まらない頭髪に業を煮やして

あくまでも「かっこいいから」という理由をつけて 毎日タオルを巻いて登校をしていたり

 

(言わずもがな その時のあだ名は『ラーメン屋』であった)

 

そうした 大人になった今でもふと思い出して抹殺したくなるような記憶

それを「黒歴史」と呼ぶのだと 筆者は勝手に定義をしている

 

そんなこんなで 誰が言ったが知らないが(言われてみれば確かに聞こえる)

現代日本に定着した感のある 黒歴史という言葉である

 

しかしミームが拡がる上で避けられない宿命というか

言葉の誤用もしくは解釈の違い 「黒歴史」への分類が曖昧になっているのではと思うのだ

 

この週末 キリスト教が生活に馴染む範囲の世界の話に限って言うが

時節柄もあり一色ではなかったものの 世間はハロウィンに彩られていた

 

例に漏れず文化の拡大解釈というか 単なるコスプレパーティにもなっていたが

反面ハロウィンコスプレものビデオに溜飲を下げる自分も居るので 一概に否定はしない

 

筆者が住まう片田舎姫路にも ちょいちょいコスプレっぽい若者を見かけた

その大半が複数人を伴っており 若さゆえ周りの目を度外視で楽しんでいる

 

ふと疑問に思った

彼(彼女)らは今の自分が いずれ自らの黒歴史になるかもしれない疑念を持たないのかと

 

勿論 筆者がラーメン屋さんスタイルで学校に通っていた頃は

20年後もよもや夜な夜な枕に顔をうずめ赤面を繰り返すとは思ってもいなかった

 

その事をちゃんと棚に上げた上で そのペアルックだか双子コーデだか

頭上に光るティアラの輝きを 大人になっても恥ずかしく思わないだろうかと問いたい

 

そして更にその上で 筆者はこう予想もしている

「思わないんだろうなあ」と

 

思えば筆者の黒歴史レパートリーは ほぼ全てのパターンにおいて

自分だけ・独りだけで我道を邁進した結果のブラックヒストリーとなっている

 

対して筆者のイメージする若者たちが起こす共感性羞恥

ほとんどが集団・コミュニティによって形成されている この差は大きい

 

友人が少ないので 仕組みに関してはよく分からないが

複数人で起こした出来事については往々にして「いい思い出」にすり替わる事が多い

 

時には法を犯すような事だって「ヤンチャ」とか「若さゆえの過ち」で片づけられる

盗んだバイクで走り出したり 夜の校舎窓ガラス壊して回っても である

 

こういう事をグループではなく 一人でやっていたのであれば

ある日突然内省的になって 昔の自分に歯止めをかけたくなる瞬間が訪れる筈なのだ

 

そんな事を 駅前でひそやかながらもコスプレに興じる若者を見ながら

相変わらず自意識の肥大化が進みつつある筆者は思っていた

 

その自意識の権化が このコラムだと思ってくれていい

 

10年後に読み返して恥ずかしくなるような そんなコラムを今後も書いていきたい