コラムブログ「だが興味は持て」

気が向いたら書く!

「青春時代」に興味を持て

タイムマシンが欲しいと願った事はあるだろうか

 

恐らく誰もが思い描くだろう やり損ねた事 やり残した事

フィクションの世界だとは分かっているが 空想だからこその自由がある

 

後悔は先に立たず しかし後悔は更なる空想を生み出す

後悔の無い人生は考えられないが しかし身を裂かれるような後悔に苛まれる

 

しかしタイムリープをしようとも 取り損ねた過去を取り戻したとて

また別の物を失う そうして舵は取られていくのである

 

こちらを立てればあちらが立たず

上手い具合に世界は出来上がり いつしか諦念が首をもたげる

 

そうした世界の中で どれだけ空想で戦っていけるのだろうか

 

今日のブログはそんなお話

 

 

最初に断っておくが 筆者は「青春」という言葉がひどく苦手である

 

「青春」そのものにもであるが

「青春」という言葉にもアレルギーじみた首元の痒さが生まれる始末

 

これをなんだまた「アオハル」とか読んじゃった日にゃあ

自分でタイピングしてて頭を掻きむしりたくなるくらいには嫌いである

 

(昨日面倒くさくて風呂に入っていないのも痒みの原因であるが

面倒くさくて風呂に入らない奴にアオハルを語られるのも読者諸兄また心外であろう)

 

 

文字を一つ一つ分割して考えてみても

 

「青」というイメージの持つ爽やかさが 筆者には皆無である

 

そろそろ暑いので脇にベビーパウダーをまぶしている31歳成人男性が

何を爽やかさについて語れることがあろうものだろうか

 

やはり広島人たるもの 自身のイメージカラーは「赤」に設定しておきたい

無論 広島東洋カープの赤であると判断をしてもらいたい

 

となると「青」は 中日ドラゴンズであり横浜DeNAベイスターズであり

東京ヤクルトスワローズであり 埼玉西武ライオンズであり

 

迎え撃ち討ち果たさねばならない相手の示す色なのである そりゃ好きにはなれまいよ

 

 

余談だが 人間関係において「政治・宗教・野球」の話はタブーとされている

 

イデオロギー対立が起きやすいジャンルであり それぞれ確立した思想があるから故

インターネット上のみならず 激しい議論や齟齬が起きやすいから だという

 

しかしながら我が生まれ育ちの広島においては

カープこそが「政治」であり「宗教」であり「野球」であるので

 

生半可な気持ちで 広島人にカープの話題を振るのは止めておいた方がよいだろう

 

(これが大言壮語でも何でもなく 政治にも宗教にも野球が関わっているという

中四国一強の地方都市広島の興味深い事実である

 

そしてそれは宗教であるからして 多くの広島人が自覚していない部分でもある

 

カープと宗教に関しては Wikipediaで「梵英心」と検索すれば一例がすぐ出てくる

ちなみに「梵英心」を正しく読めるかどうかは信仰を表す踏み絵であるのであしからず)

 

 

もう一文字の「春」についても 筆者の一番嫌いな季節として挙げさせていただく

 

理由は簡単 重度の花粉症だからである

 

 

そもそもが当ブログにおいても

筆者がいかに黒春(『黒い青春』の意)を迎え過ごしてきたか

 

自分自身でイヤになるくらい書き示してきたので もう多くは語らないが

 

テレビや漫画で図示され続けてきた 青春のイメージが流れる度に

自らのブラックスプリング(『黒い青春』の意)と比較して自家中毒に陥るのだ

 

しかして本当に あんなにも爽やかな汗をかきながら校舎を走り回ったり

青空の下屋上で 吹奏楽部が奔放に身体をぶん回しながら演奏したり

 

そんな時代を送っていた人間が しかして本当に存在するのだろうか

 

誰かに聞いてみたくとも 筆者の数少ない友人たちは

例外なく仲睦まじきダークネスユースフルデイズ(『黒い青春』の意)を送っており

 

だからこそ仲良くなれた部分もあるので 意見としては全くあてになるまい

 

そもそもうちの高校 校舎で走ったら怒られたし屋上は鍵閉まってたし

 

 

そんな誰かに作られた 青春時代という偶像に踊らされるな!と

しかし青春なぞ誰かに踊らされるくらいで丁度良いのかもとも思うのだが

 

とはいえ時代は 自分を踊らせてくれる誰かとの接触も絶たねばならないくらいに

目に見えない敵との戦いで自粛自粛の毎日である

 

学校に行けていない むしろまだ入学もできていない

甲子園にも出られなくなった 友達に会いたい etc......

 

そういった意見がごまんとあるのは百も承知で

「私の青春を返せ!」と声高に叫ぶ人たちに ちょっとだけ立ち向かいたい

 

残念ながら それが貴方がたの青春時代なのである という事をだ

 

どうやら世の中には 甲子園とインターハイとで中止の扱い方が違うのはおかしい

対等に扱ってくれないと納得がいかない という論調があるみたいで

 

だけれど重ねて残念ながら 青春はそれぞれ不平等にやって来るのだ

 

もちろん甲子園を目指す球児も インターハイを目指す生徒であっても

その頑張り自体はむしろ誰かに計られるものではないとすら思う

 

しかし青春時代は というか人生は不平等である

 

同じ量の汗を流したとて 高校時代の筆者が甲子園に行けたとは到底思えない

 

それは生まれながらの資質であり 運動神経をはじめとする身体の作りであり

そもそも硬式野球部が存在しない高校に入学してしまったという事実であり

 

数えきれないほどの要因が複雑にあり 不平等は生まれるのだ

だから一概に不平等の理由を挙げるのはナンセンスである

 

ただ一つ「人はいつか死ぬ」ことだけが平等なのであるが

ここから先は宗教の範疇であるので 今回は考えるのを止めておこうと思う

 

信じる宗教は広島東洋カープだけで充分である

 

(その宗教が対外試合13連敗を喫してしまっているのは今は話題の埒外だ)

 

 

考え方を変えてみよう

 

「不平等」はとらえ方によって「個性」にもなりうるのだ

 

あまり認めたくはないが 筆者の過ごしてきた暗い青春時代も

他の誰も持ちえなかった個性なのだと 主張することもできるだろう

 

普段使っているハンドルネームではない名前で学校のチャットに入って

それが筆者だと知らない級友が 延々チャットに筆者の悪口を書き連ねているのを

 

そしらぬ顔で画面越しに見ていた17歳の僕も

 

明らかに不平等の側面が強いが 何とか自分の個性だとして生きているのだ

 

小学校の頃 クラスのガキ大将に「好きな子教えろよー」としつこく絡まれ

仕方なく好きな子の名前を教えたら そいつが勝手に筆者の好意をその子に伝え

 

挙句「〇〇さんお前の事好きじゃないってよ」と筆者にレポートを突き付けて

 

何もしてないのにフラれてやるせなさだけが残った 10歳の僕も

 

絶対に不平等の側面が強いが なんとか自分の個性だとして生きているのだ

 

 

同様に コロナウイルスのせいで制限されている現在を のようにして過ごしたかで

各々の青春時代は形つくれるのではないかと筆者は考える

 

オンラインで友人と繋がってみてもいいではないか

家族と膝を突き合わせて 普段しない話をしてみるのでもいい

 

ルールの中でどこまで動けるのか どう動くのかが個性なのだから

不平等ばかりに目を向けて 不平等を書き連ねるのは誰でもできる没個性である

 

そもそもそのルールが それぞれ不平等に設けられたものなのだから

その不平等を早めに受け入れないと 悪い自家薬籠中に陥りかねない

 

自分が自分がと自分に目を向けすぎた結果 ボウガンを手に取るのでは

それはあまりに悲惨な結末である

 

 

色々と偉そうなことを挙げ連ねてきた今回のコラムであるが

人には人のかわいそうがある事は 想像力に難がある筆者でも分かること

 

しかし「かわいそうさん」になることの弊害はラジオで矢部氏が教えてくれたし

歌やダンスでは救われない人達が一定数居るのも ラジオで太田氏が教えてくれた

 

筆者が過ごしてきた青春時代の「かわいそう」が

誰かの「かわいそう」を救う一助になれれば というのはいささか言い過ぎで

 

僕は僕で自分のやり場無き不平をぶつけているだけなので

結局は同じ穴のムジナなのである 影響力が無いから好き放題である

 

しかしあえて もう一つだけ言うのならば

 

青春なんてのは後から何となく思うものなので

今は青春についてなんて考える必要はないんじゃないかと 考えたりもするのだ